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142話 その頃のイレーネ

last update Last Updated: 2025-05-10 09:43:25

「おはようございます。昨夜はお世話になりました。伯爵様、奥様」

ダイニングルームに入ると、イレーネはケヴィンの両親に丁寧に挨拶をした。

「良く眠れましたかな?」

「まぁ、イレーネさん。その服、良く似合っていらっしゃるわ」

ケヴィンの両親が穏やかに話しかけてくる。

「はい、素敵なお部屋でした。それにお洋服を用意して頂き、大変感謝しております。本当にありがとうございます」

「どうぞ、イレーネさん」

ケヴィンが椅子を引いてイレーネに勧める。

「ご親切にありがとうございます」

そんな様子を微笑ましげに見つめるケヴィンの両親。ケヴィンもイレーネの隣に座ると穏やかな朝食が始まった。

2人はイレーネについて根掘り葉掘り尋ねてくることはなく、それがとてもありがたかった。

(きっと、ケヴィンさんが事前に何か御両親に話されていたのかもしれないわね)

イレーネは隣で食事をするケヴィンに心の中で感謝する。

やがて食事が終わると、イレーネはケヴィンに尋ねた。

「ケヴィンさん、本日もお仕事があるのですか?」

「ええ、ありますよ。今日は9時から駅前交番に勤務です」

「そうですか……駅まではどのようにして行かれますか?」

「馬に乗っていきますけど?」

「それなら、私も乗せていただけないでしょうか?」

その言葉に夫人が会話に加わってきた。

「イレーネさん。駅に行かれるの?」

「はい、汽車に乗るつもりです」

何処にも行くあてが無かったイレーネは『コルト』に戻るつもりでいた。

ベアトリスが『デリア』にいる以上、もうここにいてはいけないと思ったからだ。

(最後に……直接、皆さんの顔を見て挨拶をしたかったけど、それは無理ね。私はもうマイスター家とは無関係になってしまったのだもの。リカルド様との契約書は後で郵送にしましょう)

「イレーネさん。本気ですか?」

イレーネの言葉にケヴィンが真剣な眼差しを向ける。

「汽車に乗って何処へ行くつもりなのだい?」

「自分の故郷に帰るつもりです。……待っている人がいるので」

本当はそんな人はいない。

イレーネはひとりぼっちなのだから。けれど、親切なケヴィンと彼の両親を心配させたくは無かったのだ。

「待っている人というのは誰かね?」

伯爵が尋ねてくる。

「はい、私の祖父です」

(お祖父様のお墓は『デリア』にあるもの。待っている人と答えても大丈夫よね……)

「そう。お祖父様が待
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  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   136話 運命のレセプション ④

    「ま、まさか……ベアトリス? 君なのか!?」ルシアンの顔に驚きの表情が浮かぶ。「ええ、そうよ。2年ぶりね……会いたかったわ。本当に」それは本心からの言葉だった。だが、ルシアンの顔は曇る。「今更……何故俺の前に現れたんだ? 2年も経って……あんな手紙だけで行き先も告げずにいなくなったのに?」「仕方なかったのよ。あの時は色々あったから……だけど、その態度は何? こっちはどれほどあなたを思っていたのか知りもしないくせに。私を責めて、挙げ句にさっき一緒にいた女性は誰なのよ!」自分の立場も忘れて、ヒステリックな声をあげるベアトリス。「何だって? 彼女を見たのか?」ルシアンは眉を潜めた。「ええ、見たわ。とってもチャーミングな女性だったわね? 笑顔がとても素敵だったわ……彼女の悲しい顔が見たくないなら、場所を変えましょう。もしこの場に彼女が戻ってきたら、私何を言い出すか分からないわよ?」「……脅迫するつもりか?」その言葉に、ベアトリスの美しい顔が歪む。「聞き捨てならない言葉ね? かつては、あんなに愛し合った恋人同士だったというのに。何なら彼女に教えてあげましょうか? 私達がこれまでどんな風に愛し合ってきたか……」「やめてくれ!」ルシアンは声を荒げた。「……分かった、場所を移動しよう……」「ええ、懸命な判断ね。それじゃ別の場所へ行きましょう?」ベアトリスは美しい笑みを浮かべると、背を向けて歩き始めた。「イレーネ……」ルシアンはポツリと呟き、イレーネがいる方向を振り返った。(すまない、イレーネ。だが……どうしても君を傷つけたくは無いんだ……)ルシアンは覚悟を決めて、ベアトリスの後をついて行くことにした。ときに激しい情熱をぶつけてくるベアトリス。このままイレーネと鉢合わせすれば、気の強いベアトリスが何をしでかすか分からない。(昔は、彼女のそういう気の強いところが好きだったが……)けれど、今のルシアンはイレーネと過ごす時間が何よりも大切になっていた。明るく天真爛漫な彼女。それでも時折、自分だけに垣間見せる弱さ。そんなイレーネを守ってやりたい。彼女を心の底から笑える様にさせてあげたい。それだけ大きな存在になっていたのだ。(すまない、イレーネ。ベアトリスときっちり話をつけたら、必ず迎えに行くから……どうか、待っていてくれ……!)け

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   135話 運命のレセプション ③

     約40分前のこと――顔にヴェールをかぶせ、イブニングドレス姿のベアトリスがレセプション会場に入場した。「ベアトリス、君は今や世界的に有名な歌姫なんだ。時間になるまではヴェールを取らない方がいい」一緒に会場入りしたカインが耳打ちしてきた。「ええ。大丈夫、心得ているわ」ベアトリスは周囲を見渡しながら返事をする。「一体さっきから何を捜しているんだ?」「別に、何でも無いわ」そっけなく返事をするベアトリスにカインは肩をすくめる。「やれやれ、相変わらずそっけない態度だな。もっともそういうところもいいけどな」「妙な言い方をしないでくれる? 言っておくけど、私とあなたは団員としての仲間。それだけの関係なのだから」ベアトリスが周囲を見渡しているのには、ある理由があった。本当は、このレセプションに参加するつもりはベアトリスには無かった。だが、貴族も参加するという話を耳にし、急遽出席することにしたのだ。(今夜のレセプションは周辺貴族は全て参加しているはず……絶対にルシアンは何処かにいるはずよ……!)ルシアンを捜すには、隣にいるカインが邪魔だった。そこでベアトリスは声をかけた。「ねぇ、カイン」「どうしたんだ?」「私、喉が乾いてしまったわ。あのボーイから何か持ってきてもらえないかしら?」「分かった。ここで待っていてくれ」「ええ」頷くと、カインは足早に飲み物を取りに向かった。「行ったわね……ルシアンを捜さなくちゃ」ベアトリスは早速ルシアンを捜しに向かった――「あ……あれは……ルシアンだわ!」捜索を初めて、約10分後。ベアトリスは人混みの中、ついにルシアンを発見した。「ルシアン……」懐かしさが込み上げて近づこうとした矢先、ベアトリスの表情が険しくなる。(だ、誰なの……!? 隣にいる女性は……!)ルシアンの隣には彼女の知らない女性が立っていた。金色の美しい髪に、人目を引く美貌。品の良い青のドレスがより一層女性の美しさを際立たせていた。彼女は笑顔でルシアンを見つめ、彼も優しい眼差しで女性を見つめている。それは誰が見ても恋人同士に思える姿だった。「あ、あんな表情を……私以外の女性に向けるなんて……!」途端にベアトリスの心に嫉妬の炎が燃える。(毎日厳しいレッスンの中でも、この2年……私は一度も貴方のことを忘れたことなど無かったのに

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   134話 運命のレセプション ②

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